TOMO KOIZUMIをご存知だろうか。

2021年夏に行われた東京でのオリンピックにて一躍その名は日本国民に知れ渡った。

五輪マークに準えて拵えられたこの大胆なドレスは大きな話題を呼んだ。マスメディアでも大きく取り上げられ、まさに五輪を迎えるにふさわしいドレスメイキングだとして讃えられた。このドレスを仕立てたブランドこそが小泉智貴手掛けるTOMO KOIZUMIである。

そのTOMO KOIZUMIが京都・二条城にて実に二年ぶりとなるファッションショーを行った。

2022年コレクション

夜の二条城には先祖の魂が宿るのだろうか。神聖かつ繊細な時間が流れていた。この地、この場所で「日本の資材や文化、精神性の継承」というイデオロギーと共に、TOMO KOIZUMIのショーが行われた。

私はありのままに顕在化された「日本」文化、精神をこのショーに見た。

TOMO KOIZUMIの見る日本

読者諸君は「日本」について、何を思い浮かべるだろうか。

歌舞伎、着物、和食、、、様々な伝統的で古風な文化、概念、「クールジャパン」として打ち出されるような誇大化された「日本」に脳が埋め尽くされるかもしれない。しかし、現実問題そういった古き良き高尚な伝統文化は今や日本を作り上げる本質であるとは言えないと思う。私はこう思う。日本とは、伝統に関して誇りを高く持ち、それと同時に西洋や大陸からの文化を否応なく受け入れた国だと。

今回のTOMO KOIZUMIのショーではまさに日本のそういった、多様な文化が入り混じって、なおかつ伝統的な面も継承しようとする、ありのままの日本が美しく描かれている。

古来からの日本らしさ

日本古来の着物文化がこのショーのコレクションピースで表現されていることは言うまでもない。

着物のテキスタイルが織り交ぜれたピースがいくつか提案された。古くからの日本的な紋様が覗かせることで格式が上がる感覚を日本人として感じざるを得ない。

何層にも重ねられたフリルは体のラインを曖昧にする。ここにも、どこか古くからの日本における十二単文化の香りを感じる。

図3で示したルックでは、長年に渡ってパリコレクションの最前線で活躍してきたモデル、冨永愛によって日本の化粧文化が表現されている。

このように古来からの日本が培ってきた「記号」ともいえる、明らかに示された日本らしさがある一方で、興味深いのが、西洋文化の中で解釈された日本らしさもまた上手く提示されているということである。

西洋文化の中で解釈された日本

図4に見て取れるように、ベースとして置かれるのはやはり西洋風のドレスである。

上半身の胸元あたりが体のラインにしっかりと沿っており、スタイルを強調する。下半身にかけて広がりを見せ、ラインを曖昧にし、綺麗なAラインを表現する。図5に見る、地面にするほどのトレイルも西洋のドレス文化の香りを醸し出している。(十二位単に見られる裾の長さと解釈することもできそうだが)

このように西洋服飾史をベースとして形作られている一面がある一方で、その中にもしっかりと古来からの日本文化を織り交ぜている。

図5にてモデルが着用しているドレスはウエストの部分が絞られており、コルセットを思わせる。しかし、素材、そのフォルムに着目してみるとどちらかといえば帯に近いように思える。機能の面ではウエストを強調させるコルセットの文脈を借りているのだが、文様、素材の面で着物に見られる帯を表現している。図4のドレスには中華風の紋様があしらわれている。古来から多大に影響を受けてきた中華圏の文化をここで表現している。

そして、この「和洋折衷」の文脈で見た際印象的なのがショー終盤のBGMである。クラシック風のドラマチックな音楽であると同時に、その中には和太鼓のサウンド、古来から日本が培ってきたリズムが織り交ぜられている。また、「花が咲いたよ…」(その後の言葉は聞き取れなかった)という言葉も差し込まれており、短歌のリズムに沿ってその繰り返し唱えられていた。子供の頃親しんだ童謡を思わせるノスタルジックな一面を含んだメロディであった。

日本文化の継承

初めにも述べたとおり、このショーを通して小泉智貴が見る等身大の日本らしさが表現されていた。西洋や大陸からの影響を多分に受けつつも自国の伝統を守り続けようとする。それが彼の作り上げたコレクションピース、演出から感じ取れた。

そして何より、彼が今後もこの日本の姿を後世に受け継いでいこうという意志が感じ取れたショーであった。

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