前回の記事では、TOMO KOIZUMIIの行うクリエイションを日本文化継承の点から述べてきた。
今回の記事では少し視点を変え、引き続き2022コレクションを見ていきたいと思う。
老若男女 着る者を選ばないクリエイション
今回のショーで特筆すべき点が、世代、性別、体型を超えて多種多様なモデルがランウェイを歩いたことだと考える。
従来のランウェイショーとは違い、このショーにはWomens collection、Mens collectionなどのラベリングがなされていない。
ショーで登場したのはランウェイモデルのイメージからはかけ離れた、お年を召した女性であったり、従来の「モデル体型」とはかけ離れたモデルであった。
しかしその誰もがこのドレスに身を包み、自らを最大限に表現している。ここには、「ジェンダーレス」を打ち出すわざとらしさがない。ここに私たちが見ているのはTOMO KOKIZUMIが打ち出している新しい服の概念の欠片だと考える。
普段、私たちはどちらかというと「体」を表現するために服があると考えているように思う。「ウェストラインを強調するための服」、「痩せて見せるための服」。ファッションのECサイトは「体を見せるための服」という前提に基づいたコピーライトで溢れている。
一方、このショーで提案された服は、そういった諸概念を覆すものである。何層にも重ねあわされ膨れ上がった服は着るものの体型を覆い隠す。ここで見られるのは、体を「魅せる」ことを超えた、主人公とも言える服である。
ここに、着るものに課せられた条件はない。人々はこの壮大なアートピースに身を委ね、主人公である服を身に纏う意志を持つものだけが、着るに値するのである。
こうした着る者に条件を課さない服装は、今日に蔓延る諸問題を解決に導く一助となるかもしれない。
Billie Eilishがオーバーサイズの洋服を通して人々に訴えかけたように、体型を顕在化しない洋服は、人々を体型にまつわる諸概念から解放する。このコレクションでのピースは「服」によって表される体型の問題から人々を守り、着る者を選ばないことから、様々な人の手を経て、引き継がれていくこともできる。この点で、近年のファストファッションが抱える大量生産、大量生産のサイクルからも脱している。
この無限の層からなるドレスには、無限の可能性が宿っているようだ。