新型コロナウイルスの蔓延により街に出られる機会が減り、好きなファッションを身に纏って街を闊歩するという楽しみがなくなった昨今。家の中でファッションを楽しむ方法を模索する中、小説の世界観や登場人物の醸し出す雰囲気を自らの感性で汲み取り、それに合う服装をイメージし、身に纏うことで小説の世界に没入体験をするのはいかがであろうと考えた。虚構の世界と現実世界が融合する、小説×ファッションという新ジャンル。
第2回目の今回は宮沢賢治著『銀河鉄道の夜』。
言わずと知れた名作であり、例え読んだことはなくとも名前を聞いたことの無い人は恐らくいないであろう。
夜空一面に広がる星空には全てを飲み込んでしまうかのような不思議な力がある。
「星に願いを」という言葉が物語るように星に魔術的な力があるということは人々によって古代から言い伝えられてきたことだ。
主人公のジョバンニとその親友カムパネラは、賢治の出身地である岩手県に準えた「イーストハーヴ」を舞台に一夜限りの幻想の旅、銀河の旅へと出かける。
イーストハーヴという架空の土地の名前、文中での「青く光る林道の花」「銀に輝くすすき」といった美しくひたすらに幻想的な描写とともに、銀河を旅するといった極めて空想的なストーリー設定の作品であることから、この作品はどこかファンタジーとしてのイメージを強く持たれがちだが、この作品はただのファンタジー作品では片付けられる代物ではない。
賢治はこの作品に彼なりの強い想いを込めていると感じるのだ。そう、私たちが星に願いを込めるかのように。その親和性が故に、きっとこの物語の舞台は壮大な銀河でなくてはならなかったのだ。
彼が星に込めた想いはなんであったか。それは「愛する人を満足に送り出したい」「素直で、人のために尽くせる人でありたい」という願望である。
というのもこの思いには賢治の経験した苦い過去が関係している。実は賢治は最愛の妹であり、理解者であったトシを若くして亡くしている。さらに信仰する宗教の違いから家族の開く葬儀に参加することができなかったそうだ。そのように愛する者の最後すらも満足して迎えられなかった賢治は後悔という言葉では表せないほどの胸を張り裂くような思いに苛まれたであろう。その、自らが叶えられなかった理想を虚構の中で表現し、自らの気持ちに折り合いをつけたいという願望も『銀河鉄道の夜』には込められているのでは無いかと考えるのだ。
ファンタジー以上の意味合いがこの物語にはあるとはいえ、やはり美しい情景描写からなる神秘的な世界観は間違いなくこの物語の魅力の一つである。美しいな描写をいくつか抜き出しておこう。
『ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか』-午后の授業 先生のセリフ
「ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえる中を、天の川の水や、三角点の青白い微光の中を、どこまでもどこまでもと、走っていくのでした。」-銀河ステーション 銀河鉄道の描写
「河原の礫は、みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉や、またくしゃくしゃの皺曲をあらわしたのや、また稜から霧のような青白い光を出す綱玉やらでした。」-北十時とプリオシン海岸での描写
この作中にて「星空」は描写的にも、作者のこめた意味の側面的から見ても外せない要素であることがわかる。
この様な世界観を表す服として私が思いついたのが、日本人デザイナー宮尾史郎氏が手掛けるファッションブランド『ミヤオ』より2018ssシーズン発表されたコレクションである。
ミヤオ 2018ssシーズン
このシーズンは「journey in the night(夜を旅する)」というテーマのもと、星模様をあしらったアイテムなど、夜空をインスパイア源としてコレクションが作成された。漆黒の中に一際存在感を示す透き通った生地のオーガンザは、作中で描かれた乳の流れたあとである天の川を彷彿とさせる。ふんだんにあしらわれたフリルやタッセルはまるで流れ星の放射状の動きをあらわしたかのよう。こうした「夜空の旅」をするというテーマのもと作られたこのシーズンの服のディテールはどこか銀河を旅したあの世界観と親和性を持つのだ。
そしてこのコレクションで表されたもう一つのテーマ、それは「繋がっている」ということだ。表面にあしらわれたフリルは部分的ではなく、体のパーツを一周して、結合点が存在する。流れ星の如く体を取り巻くオーガンザは必ず結び目がある。このように服の細かいディテールを通して「繋がり」を表現しているのだ。この「繋がっている」というキーワードは作中でも重要なキーワードとして当てはまめられるのでは無いかと私は考える。ジョバンニとカムパネラは星空を通して美しい幻想の世界と繋がった。そして、同時に作者賢治にとって、その幻想の世界とは思いを満足に見送れなかった妹トシと今でも「繋がっている」と思うため、思いたいがための世界ではなかったろうか。このストーリーを構築し、思考を巡らすことは同時に妹トシへと想いを巡らすことでもあったのであろう。
そして、このコレクションにて重要な色は白であると考える。黒で埋め尽くされた闇の世界において対を成す白というは、一際大きな存在感を示す。実際に白のアイテムはこのコレクション内で再三用いられ、シルクやレーヨンなどといった様々な素材を用いることで様々な表情を覗かせる。このことは、『銀河鉄道の夜』作中にても共通していることだと私は考える。先程列挙した美しい情景描写にも白の描写は何度となく登場し、その存在を散らつかせる。そして何より、作中にて再三登場し重要な役割を果たす「ミルク」の色といえば、言わずもがな白なのである。
賢治がミルクを重要な役割として作中で位置づけた意義はなんであったろうか。確かに、「天の川は乳の流れたあと」だという古くからの言い伝え、作中で登場した描写との関連性は無視することはできないが、私としては「It is no use crying over spilt milk.」という諺の意味に思いを馳せずにはいられない。虚構の世界で自らの叶えられなかった理想を果たすとは言ったものの、虚構の世界に思いを込めたとてもう盆には返らないと、彼はとっくに分かっていたのかもしれない。彼にとってあの幻想の旅を繰り広げた天の川は、「二度と盆に戻ることのないミルクが流れたあと」でしかなかったのかもしれない。そのことこそが、名作『銀河鉄道の夜』が彼の死後になって初めて彼の部屋から発見された理由かもしれない