ジョナサン・アンダーソンがデザイナーを務めるloeweが、ランウェイ形式で2022年春夏シーズンのコレクションを発表した。

真っ白で広大な会場に、奇妙に装ったモデルが現れる。彼女らが身に纏っている洋服はどれも実験的なデザインのもので、サイファイ映画で見た、宇宙船から降り立ったエイリアンを思わせる。

芸術に傾倒していることで知られるジョナサンが今期インスピレーションを受けたのは後期ルネサンスの画家、ヤコポ・ダ・ポントルモによる『十字架降下』だ。彼の作品に見られる希望と悲壮感の入り混じった匂いが今期のloeweからも感じられる。

入り混じる希望と悲壮感

垣間見える希望

ポントルモの描いた『十字架降下』は、赤やオレンジがふんだんに使われたカラフルな作品であり、一見オプティミスティックな作品に思われる。

Loeweのコレクションもまた、カラフルでパステルカラーが差し込まれたピースが多く、見ていて気分を高揚させるような色使いである。中には配色の面で『十字架降下』の影響がモロに感じられるピースまで存在し、そのポントルモのアートピースの影響深さを物語っている。

しかしながら、二つの作品共に、偏に希望のみが反映されているということはできない。

醸される不安感

『十字架降下』

これら二人のデザイナーによって繰り出された世界にはどこか不穏な空気が漂っている。読者諸君も頭のどこかで渦巻く気味悪さを感じてはいないだろうか。

まず上の絵画について、明るい画面構成とは裏腹に、描かれた人物の表情は暗く、どこか狼狽した様子が見てとれるだろう。
また、何よりのポイントがこの絵画の主題である画面中央右に描かれたイエスの様子である。力が抜けきり、右肩下がりに胴体が垂れている。実はこの「右肩下がり」の状態は、人間に対して本能的な不安感を煽る作用があるのだ。その周りの人物も伴って右肩下がりのシルエットに組み込まれているから尚更だ。

また、画面の随所に赤髪(橙と認識する方がイメージしやすい)の人物が描かれている。中世以来ヨーロッパにおいて赤髪は忌み嫌われてきた。血の色に近いこと、黄色と赤という間に位置することで、はっきりと分類されない気味の悪さがあることに託けられてきたのである。

不自然に引き延ばされた胴体もまた違和感につながっているといえるだろう。この時代に生まれたアートの潮流「マニエリスム」は、人体を非現実的なまでに引き伸ばし、人体比例に関して挑戦的な描写を行なっていた。そのことからも美術史上異端で、見分けが一目でつく。いうまでもなくこの作品もこの潮流に組み込まれた一種で、「人体」への認識について前衛的な提案を行っている。

これらの「美の基準」からあえて逸脱したディテールが私たちの不安感を煽ることにつながっていると私は感じるのだ。

Loewe

このコレクションにおいて、図2に見られるような、髪が目にかかったモデルが複数人登場する。彼女らの表情は読み取れず、まるで名前を持たないマネキンのようだ。彼女らは名前を売ることもせず、ただ表情を見せることなくランウェイを闊歩する。モデルの演出によって表現される匿名性は、SNS世代の真っ只中を生きる私たちの心を疼かせる。匿名社会で吐き出されるのストレスの山、その一端を自分が担っているという羞恥心のかけら。これら潜在的に感じる日々の嫌悪感を抉り出す演出ともいえるだろう。匿名であることの気味悪さ、を再度思い知らさせる。

また、何より我々の気を引くのが全く新しいフォルム、実験的な服作りだろう。

これらの洋服は全く新しいフォルム、シルエットを生み出している。
既存の洋服の概念ではカテゴライズされない、これもまた「匿名性」といったところが不穏さにつながっているのかもしれない。この面で先ほど述べた『十字架降下』中での赤毛の人物と同じ働きをなしているようである。

また、独特な形、シルエットを作るこの試みは既に凝り固まった「体」「ボディーライン」の常識に一石を投じている。
コブのように膨れ上がったワンピース(図4)、本来覆い隠すべき胸元部分のみが透けでているトップス(図5)、腹部から胸元にかけて膨らみを持たせたピース(図6)。
これまでの洋服の既成概念にとらわれず、体と洋服の新しい関係性を模索する試みのようである。これらは『十字架降下』にて人体比例を拡張することで提示された、人体への新しい認識への試みにも通じる。

今後のLoewe

今回のコレクションにデザイナーであるジョナサン・アンダーソンの決意が垣間見えた。今後も服を通して自らのイデオロギーを発信していくという決意である。
今回のコレクションで表現された実験的なピースの数々は、これまでのloeweとは少し毛色が異なっている。これでも当然様々なインスプレーションから心を動かすデザインをおこなってきたジョナサンだったが、今回のコレクションで新しく殻を破り、既存の枠組みを外れ、モードにおけるコンテクストを無視する試みへと走り出したのだ。

そのことの何よりの証拠が、ポントルモをインスピレーション元にしたことである。彼の絵画によってマニエリズムという実験的な絵画の潮流の門戸が開かれが、新しい美の形式が生まれた。

モード界におけるマニエリズムを創出するべくジョナサン・アンダーソンの試みは始まったばかりだ。

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